かてなちお ― 「まもる」をテーマに生活情報から防犯情報まで紹介します。

Top > 「このあと、すぐッ」は、後が怖い(?)

皆様、ご機嫌如何ですか?閂屋の北野邦彦です。聞くところによると「営業職」が全く人気がないそうです。就職は出来れば「専門職」でいう傾向だそうです。様々な折衝、人との関わりを持たなければいけない、営業がワズらわしからと、聞きます。私は、面白味と捉えた方が、人生が、豊かになると思うのですが・・

しかし、専門職であっても人と関わって仕事に携わる以上、何がしかの折衝はついて回ると思うのですが?この人達は専門職ならそういった事柄に全く接する事なく、仕事できると想像しているのでしょうか?あまりに、乏しく、空しい発想だと思います。

ゆえに、今、会社側が人に望む、要望第一位が「コミュニケーション能力」と、理解に苦しむ、要望になるのでしょうかね? 会話も、挨拶もできんのかい?!って思います(笑)

誤解なく云えば、営業、折衝、諸々は「テキトウ能力(?)」だと思うのです。聞いているようで、聞いていない。つまり、相手の要点は抑えた上で、こちらの言い分、を通すのですから、中間点というのでしょうか、まん中意識が、大切だと思います。

燃費が良く、運転も上手な方は、アクセルを踏んでいるようで、踏んでいない、パーチャル域の使い方が、凄く上手です。要するに、一方向、極端でないが、ミソですね。

最近、気になるニュースを聞きました。「バラエティー番組、民放に「指針作って BPO提案」の記事です。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20091118STXKC050817112009.html

問題になっているのは1:言葉の乱れ 2:聞き苦しい話 となるのでしょうか?2について5つに分類されていますが、確かに、あまり感心しない話もありますが、ラジオが衰退していく昨今、その役割をテレビがとも取れますので、嫌な人は見なければいいと思います。

いじめはね~確かに、助長するような効果があるでしょうが、それ以上に、家庭での躾ではないでしょうか?少し、人様を労わる気持ちを教育すれば、酷いイジメは、しなくなると思いますよ。親の問題につけ、教育現場の問題につけ、思い遣りの無さは、いずれ自分に全て跳ね返ってくるものですが・・・

今回のかてなちおは、1の言葉の乱れについて、語ってみたいと思います。「言葉が乱れると、国も社会も貧困の中に沈んでいく。正しい言葉を保つことが必要」と昔から言われています。

確かに生活の規則正しさの根本は、言葉にあるといって否定される方も、そう、いらっしゃらないでしょう。ゆえに、正面から未来を見据えなくなり、失望から、退廃的な麻薬に溺れる人が増えているように感じます。何事も細部から、崩壊、栄光の兆しが見えるものです・・・

このあと、すぐッ」でCMに入る番組。普段からよく目にします。これも問題になってまして、ごく、自然に目にする”文字”のほとんどが「口語表現」なんです。なんでも、仲間内で閲覧される文章でない社内文章等にまで、文章表現ではなく口語表現が使われていて、目がてんになるという事が、まま、あるそうです。悪い意味で、本来と違った使われ方が、一般的になっているのに、テレビ番組の影響がないとは、言えないと思えます。

小学校の作文の指導は、一体どうなっているのでしょうか?私が子供の頃、文章にこんな言葉使ったら、教師から、張り手入れられたものです。フザててるのかって(笑)もっとも、生徒に嫌われるからって「タメ口」をゆるしている先生では、期待出来ないですね。

私が幼少の頃、周りが名前で呼ぶのを先生が見咎めて「○○を下の名前で呼び捨てにしていいのは、○○のだけだ。君達がそんな風に呼んじゃいけない」と、やんわり、叱り、諭していました。現状は全く逆なので、恐れ入りますが(笑)私が古いのでしょうかね?

また、吹き出しならぬ、口語体のテロップ。耳の悪い方や騒音で聞こえ難い時は、便利ですが、語っている人の表情から読み取るといった感能力は、弱くなるでしょうね。これも、コミュニケーション能力の一端を、損なう事につながっていると思えます。

製作者側からすれば「分かりやすく」って名目で、逃れられる所が、厄介なんですが・・こうした製作、指導側の言い逃れには、いい加減、ウンざりしている方も多いと、思えます。少なくとも、良識を持ち合わせている方々でしたら・・

やっぱり、少子化の影響が大きいのでしょうか?少ない物には、価値があり、値がつくのが社会です。子供の数が少なくなれば、大事に扱われ、自然、これまで基準としていた言葉使い、挨拶、といった生活の基本となるものまで、変わっていくものなのでしょうか?

私は、違うと思うのですが、何処でも「現場」は数字に支配されています。売上げ、視聴率、集客能力といった数字で図れる、力の前では、道徳も論理も、節も無視され、ないがしろにされます。特に、不景気な昨今なら尚更ですね(苦笑)

数字という「損得」で、正しい話し方が出来る利点、メリットについて触れたいと思います

ホテルオークラに入社し、約30年間ホテルマンとして働き、インストラクターの第一号となり、新規ホテル開業スタッフの指導なども担当し、2000年の九州・沖縄サミットでは外務省の臨時職員として接遇の指導もされ、これまでに約3000人の新人を指導した「蔵田理方」さんのコラムがありました。いずれ、かてなちおで取り上げたいと思っている話なのですが、蔵田さんは、こうおっしゃっています。

● きちんと挨拶できる新入社員は10%

お客様に満足感を与えるには、美しい言葉遣いも必要である。コミュニケーションが不足している現在、日本人でありながら、美しい日本語をきちんと話せない人が非常に多い。テレビでも乱れた日本語が飛び交っている。これは対面販売だったお菓子屋さんがコンビニにかわったり、電話よりもメールを使い、人と人とが直接会話をする機会が減少していることも影響しているだろう。

私は常々、仕事に欠かせないのは2つのCであると考えてきた。それは「コミュニケーション」と「コンファメーション」である。コミュニケーションの基本は挨拶だ。

しかし、小学生を対象とした全国的な調査によると、いわゆる一般家庭で「おはよう」「おやすみなさい」「行ってまいります」「ただいま」といった基本的な挨拶が交わされているのは全体の60%程度しかなかったという。

私が研修を担当している若い新入社員たちを見ていても、きちんと挨拶ができるのは全体の10%程度。つまり、現代社会では、挨拶がきちんとできるというだけで他人と差がつくのである。

つまり、言葉使いが正しいというだけで、その人の資産価値(?)は高いという事です。小学生もいずれは、社会に入り勤める事になります。その時、幼少から学んだ言葉使い、躾は一生、役に立ち、有利な立場で、周りを尻目に就職や仕事の上でも、浴びる恩恵は計り知れないという事なんですね。

不況からは、いずれ脱っするでしょうが、また、周期的にやってくる不景気の時に、自分のお子様が就職時期だったら?今から、躾けて、ちょうどいい位です。

最後に、蔵田さんのコラムから締めたいと思います。

コンファメーションには「確認」という意味がある以外に、コミュニケーション(挨拶)の対として、「返事」という意味もある。職場をちょっと離れるときには「行ってきます」「行ってらっしゃい」。休憩から戻ってくれば「ただいま戻りました」「お帰りなさい」。このような会話のキャッチボールこそが、仕事上のささいなミスを防止することにもつながる。

ある米国の保険会社の調査によると、朝、「行ってらっしゃい」と家族から見送られた人のほうが突発事故にあう確率が低いという。きちんと見送られる人のほうが、その日1日の精神が落ち着くということの裏づけといえるのではないだろうか。

QRコード
QRコード