かてなちお ― 「まもる」をテーマに生活情報から防犯情報まで紹介します。

Top > テレビの原罪?・・後編

皆様、ご機嫌いかがですか?閂屋の北野です。先週に引き続き、テレビを見るというお話です。秋から新番組も始まり、皆様のお気に入りの番組は、いかがですか?「不毛地帯」は、久々のコストの掛かった大作の予感がしますね。再放送の「妖怪人間ベム」はいいですね☆関西だけでしょうが(笑)

この番組で登場していた「ロッキード/F-104スターファイター」。1950年代から生産が始まり、日本にも正式導入される戦闘機となります。そこで、予断ながらある日本人パイロットの逸話をご紹介したいと思います。その方はアクロバット飛行家「ロック岩崎氏」。彼が、現役時代、旧型も
旧型のF-104を操り米軍の最新機F-15を模擬戦にて、撃墜!60年代の240Zで現代のGTRに勝ったようなものです!ドムもビックり(笑)

テクニックとセンスを兼ね備えた天才で「横転コルク抜き」という空戦機動を編み出したことでも有名です。F-104を見ると、どうしても、この話を思い出してしまって、、2005年、転向された飛行アクロバットショーの事故で鬼籍に入られました。ご冥福を申し上げます。日本人パイロットは優秀なんですよ~全くの予断ですが(笑)

では、残りのテレビの原罪について、触れてみたいと思います。

■ 東京的価値観の全国制覇

テレビ番組は、どこで、誰が作っているか?圧倒的に東京です。関西をはじめ地方制作の番組がなくもないのですが、しかし、全国ネットで放送される割合がどれぐらいあるかといえば、せいぜい全体の数パーセント。

ということは、全国ネットで見る番組は、東京の人たちが東京的価値観(がどういうものかという定義はここではカッコに入れる)に基づいて作られたものです。もちろん、東京的価値観の中にも多様性があることは認めますが、全国に散らばって存在する多様な地方的価値観が、東京発の番組
に組み込まれることはないでしょう。

その結果、何が起こるか。あえていうなら(多様性を持ってはいるが)東京的価値観による全国の均一化です。東京発のドラマに登場する人物、描かれる風景は、仮にそれが地方をテーマとしてはいても東京的価値観に基づいて選ばれ、脚色されています。

そうした価値観に基づいて制作された「おもしろい」番組を見続けているうちに、人はそれが「おもしろい」ものだと思うように洗脳されるでしょう。少し飛躍があるかもしませんが、それこそが「価値あるもの」と考えることだってあると思えます。

だから、テレビの影響をより受けやすい(=価値観の確立していない)若い人たちほど、東京へ行きたい、と思うのではないでしょうか?さらにいうなら、そうした若い人に残ってもらいたいがために、地方都市は軒並み東京ライクな風景になってしまったのではないだろうか?

何処の町や駅にいっても、全国津々浦々、非常に似通った風景があり、似通ったデザインがあまりに、多い感じがします。例えるなら、マクドナルドのような、ファーストフード店や、コンビニといった印象でしょうか?見方によっては、安心感ともいえますが、風情は一切ない景色です。

故に人情も、悪い意味で一般化するのでしょうね。あまり、たとえたくはありませんが、諸外国では、こうした色分けや風情が、本当に独特。おそらく日本ほど、多くが画一的な国も珍しいでしょう。

もっとも、最近の統計によると、地元を離れ、東京に向かう若者が減少傾向にあるようです。これは、これで、また、取り上げたい主題です。一見いい事、地方の個性が復活したかのような錯覚がありますが、都に上る。良く言えば上昇志向の表れでもあります。

おそらく、そうした志向が失せて来ている証明ではないでしょうか?それは、それで困ったもので、更に地方に住んで、中身が東京人という最悪な部類の人が増えたように思えます。私の錯覚なら、いいのですが、、、


■ 脳を休ませてしまうテレビ

さらにもう1つ、恐ろしい指摘があります。テレビを見ていると、脳の処理能力が楽をし、楽をすると、人は本来持っている能力を失っていきます。クルマが人間の歩く力を弱らせてしまったのと同じです。テレビに関する3つめの原罪とは、人間の脳の能力を弱らせること。

なぜ、テレビを見ると脳が楽をするのか?この問いに答えるには、テレビで時々問題になるサブリミナル効果の話が参考になります。「サブリミナル」とは、テレビで放映されるフィルムの中のわずか1コマに、本来の内容とはまったく関係のない絵を差し替えていることをいいます。

サブリミナルは問題があるとして、この手法をテレビ番組で使うことは禁止されていて、なぜ、問題があるかといえば、効果がある可能性があるからです。(現時点では確実に効果があると言い切れるだけの実証データはないらしい)

ただ経験的には効果がありそうだということで、意見はほぼ一致している。つまり脳はテレビ番組から与えられる情報量くらいは、潜在意識下で楽に処理している可能性が高く、逆にいえば、同じ京都の風景を対象としても、リアルにその場所に立って見るのとテレビで放映された画面を見るの
とでは、伝わってくる情報量には莫大な差があるのです。

ということは、テレビを見ていると脳は明らかに楽をしていることになり、楽をしている時間が長ければ長いほど(=脳が楽をすればするほど)脳が本来持っている能力は衰えていくことになります。

本物と、擬似的なモノとは、似て非ざるといった感じでしょうか?仮想的な体験は、あくまで仮想であって本物ではありません。ある、経験から延長上で、物事を推し量るというのはあっても、最初から仮想ありきでは、心許無いという事でしょうね。人は「効率」を求めます。

動物は皆そうですが特に、知能の高い(?)人はその傾向が強く、暮らしが便利になった現代では、意識しないと堕落しがちです。体もそうですが、脳はもっと、そうですね。動作を含まない動きを、長時間するのは、要注意です。

■ 人は持てる能力の10分の1も知らずに死んでいく

「人間というのは、自分の才能の10分の1も知らずに死んでしまう動物なんだ」『マイ・ビジネス・ノート(今北純一、文春文庫)』

逆にいえば、人間の才能は自分が思っているよりもはるかに大きく豊かなのです。その才能を使わないのは余りにももったいないではないのではないのではないでしょうか?とりあえず、日に3時間以上、テレビを見る時間を減らす、絞る。それだけでも脳は楽をしなくります。視覚、聴覚に過度に依存するのではなく、嗅覚、味覚、触覚を意識して使うようにする。

そのことによりおそらくは、人が本来持っている感覚は研ぎ澄まされ、第六感を養うこともできるでしょう。普段の暮らしの中で、少し心掛けを替えるだけでもっと自分の能力を使う生き方がきっとできるはずです。子どもは特に、そして大人だって決して手遅れではない。始めるなら、今から。

第六感」といえば、なにか超能力のような感じがしなくもないですね(笑)勿論、世の中には常人では計り知れない、特殊な能力を授かって、いらっしゃる方もいます。しかし、この六感、正体は「経験則」なんです。「なんとなく」という非常に曖昧な物事を推し量る目安が、重要でして、曖昧な物事を方向付けるには、経験しかないといいます。

そして、見てるだけの経験は存在しません。何がしかの痛みや苦しみ、喜びや楽しみといった感情を伴った、相反する二つの感情を体験しつつ、理解していき、学び、悟るものです。こうして出来上がった”あいまいさ”はそれ程、曖昧ではなくなります。両方を知る事によって、初めて真ん中「正しい」が分かっていくようですね。

「正」は「一」に「止まる」と書きます。何となく、理解出来ますね、言葉の伝えようとしている事が。私などは、全てが曖昧なので、ボや~と、なんとなく分かる程度ですが(笑)ともかく、実体験が大事という意味でしょうね。

勿論、良質ないい番組も多々ありますし、かつての漫才ブームを見ていると語った「矢沢栄吉」さんが「見ますよ。ビートたけしさんの漫才とか。あれは、本当に日本全国、お疲れさまですよね」と、語っていました。

”おつかれさま”を癒すには笑いは、もってこいです。”おつかれ”と感じる若年層は、まだ、早いですね。社会に出ると、今悩んでる事なんて、本当に遊びレベルですから。お笑いは、程ほどに。それよりも、頭に、体に、心にいい番組を見たり、体験するために、なにか経験を積んだ方がいいと思えます。なんでも、そうですが、上手にバランスよく、付き合っていく事ですね。これも、曖昧な程度なんですが(笑)

QRコード
QRコード