かてなちお ― 「まもる」をテーマに生活情報から防犯情報まで紹介します。

Top > 誤解なく、和洋折衷の柔の道で

皆様、ご機嫌いかがですか?閂屋の北野です。私、読書が趣味というベタな男でして(笑)皆様も贔屓な作家がいらっしゃると思いますが、高校生から馴染んでいる「夢枕獏」氏は、その一人なんです。私としては、ハズレの作品がなく、自分の道を、ただ、ひたすら、迷い傷つきながら、追求する漢(おとこ)が作風といえるでしょうか?

涅槃の樹」のような異色作もあり、これは、これで、釈尊が悟りに至る大団円などは、涙を誘う見事な表現と描写なんですが、定評があるのは「格闘物」。「飢狼伝」を読んで、血が滾らない男は、いないでしょう。また独特な格闘シーンの描写が、素晴らしく、筋肉、骨、細胞の軋む音”描写”が獏氏独特で、他では読めない、独自性を発揮しています。

最近「東天の獅子」という本を読みました。内容は日本柔道の創設者「加納治五郎」氏を中心に講道館」が立ち上がった経緯を描いた、青春群像の剣豪物です。剣豪物には違和感を感じるかもしれませんが、読めば、感じは、分かって頂けますし、作家自身がそう語っている以上、そうなのです(笑)

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こういった本を読む以上、私もかなり、格闘技には詳しのですが、東天の獅子を読んで、改めて知る事実が多々ありました。新たに知った点で、作者の言葉を借りると

柔道一といえば、世界最強の男

で”あった”という点です。東天を読めば分かるのですが、あながち誇張でもなく、全くもってその通りなんです。今日の柔道を見ると、スポーツとして確立した”競技”に見えますが、かつては現在の総合格闘技に限りなく近く、違いは胴着を着てるか、否か程度。では、何故そんな最強格闘技柔道が、世界に後塵を拝するようになり、勝てなくなって来ているのでしょうか?

26日から「柔道世界選手権2009」が、オランダで開催されています。先の北京五輪、それ以前から識者によって指摘されている「JUDOU」に対抗する術を持って臨んだのか?が、最大の焦点になると思います。実は、その答えというか、一つの回答が東天には描かれていますし、加納治五郎氏が望んだのも、そんな”柔道”です。

今回のかてなちおは、柔道から見えてくる様々な問題を扱い、我々が攻撃的に”守る”モノとはどういった容であるか?を、語ってみたいと思います。と、いうのは柔道は日本元祖の闘技。世界に出て行くと当然、ぶつかる”壁”は、どの分野にも共通して言える事だと思えます。我々の利点と欠点を知るには、もってこいの題材と思います。楽しんで頂けたら幸いです。

日本人はどうも”古き”を時折、忘却の彼方へと運び去るのが得意で、お家芸といえます(笑)例えば、江戸幕府創設者「徳川家康」公「鎖国」など全く考えておらず、いかにキリスト教と、中華思想の悪影響を拝しつつ、国を富ませるか?に心砕いていました。結果から言えば、中華思想という害毒には相当犯されたのですが・・

島原の乱」をきっかけに、日本は2世紀に渡り「鎖国」という体制を引きますが、これは、幕府が決定したといった恣意的に採った体制ではなく、済し崩しにそう”なった”体制なんです。ゆえに、幕末の「黒船来航」の際、あれ程、慌てふためくという無様な様になるのです。もっとも、幕府はオランダを通じて3年に一回程、レポートを提出させていて、世界情勢の殆どを知りえたといいます。いずれ、”黒船”がやってくる事も・・・

優秀な秀才を集めた幕閣は、いざとなると、何も出来ず、外圧に屈し、明治維新という革命を見ているだけという事態に陥ったのは、ご存知かと思います。今日の「閣僚・官僚」といわれる人達と凄く似通っていませんか?これも形骸化の典型的な悪癖です。ゆえに、今、維新が起これば・・やめましょう(笑)

東天の獅子を読んで、改めて教えられたのは「稽古」です。稽古の「稽」は”考える”といった意味で、稽古とは”古きを考える”という意味になります。ここは、大変重要な箇所なので、是非、覚えておいて下さい。この考えは明治の「和魂洋才」の本来の意味に通じてきます・・・

加納治五郎氏が、もし、明治時代に柔道という形で柔術を集大成かしていなかったら、おそらく、今日、柔道なるものは、存在しなかったでしょう。加納氏は、なんでもかんでも西洋流がいいとする風潮に疑いを持ち、和の心を失わずにするには、どうすればいいか?の結論を柔道に求めました。行き過ぎた世相に対する、アンチテーゼで、同時代「正岡子規」の”やまとうた”の復興や「小泉八雲」など日本の未来に対して憂いを持つ人々です。

加納氏が柔術を始めたきっかけは、日本に対する憂いと、自身が虚弱だったため、強い自分に作り変えるためだったと言われています。体格もよくなく、習い立てという事もあって、最初は面白いように投げられ、寝技で、関節を極められていたそうです。そこで、加納氏が考えたのが、自身の通う東大の図書館で「レスリング」の本を読み、対抗策を考え、寝技に入られた時点で”ブリッジ”で逃げるというものでした。

柔道の試合で、よく見掛ける風景ですね。このように、加納氏は自身で疑問を持った事を”知識”として調べ、道場の先輩、師匠を通じて問いただし”体験”を通じて変化・工夫を加えていきました。そして「崩し」という概念を創造し「」の路を見出す事になります。まさしく「稽古」そのもので、古きのみならず、新しきからもいいと思えるモノは、積極的に付け加え、形骸化しないように務めています。

因みに総合格闘技で有名になった「三角締め」は大東流合気柔術の元となっている「お止流」にして一子相伝だった「御式内(おしきうち)」の秘儀です。北斗の拳みたいでしょう?加納氏の弟子の「西郷四郎」がこの流派の人だったので、伝わっています。因みに四郎氏は夏目漱石小説「姿三四郎」のモデルになった人で、得意技は「山嵐」です。浪漫だな~(笑)つまり、当時の柔術をいかに講道館が集大成化していったかの証でもあります。

先の北京五輪、男子100k超級、金メダリスト「石井慧」氏が賛否両論の矢面に立たされたのは、記憶に新しいと思います。まあ、言動が些か、奇抜だったのはあるでしょうが、「あれは柔道ではない」といった論調で、解説者だった現日本監督篠原氏は、露骨に批判していました。鍛えた者同士、そう簡単に一本が獲れるのなら、石井氏もそうしたでしょうが・・

私は、あえて石井氏の、斉藤監督のでしょうか、柔こそ、本来の講道館柔道の姿だったのではないのだろうか?と、思っています。それは、本来、加納氏が目指した柔の姿は、どっちの姿勢の方がより、近いか?で判断するからです。帰結として石井氏が総合格闘技の王者を目指すのも、かく、あるかなといった印象でありますね。

勿論、篠原氏も稽古に稽古を重ね、ご自身の路をもっていらっしゃるし、立派な柔道家と認めるのは、やぶさかではありません。しかし、篠原氏が拘る現代の講道館柔道では、レスリング、サンボを加えアースリートとしての体力、運動神経を持った、ガイジン柔道家には、限界に達しているのも事実です。

皮肉な事に、畳の上の勝負だけでなく「ルール」という確認必須事項を見落とし、あっさり、金メダルを手放したのが象徴的に思えてしまいます。日本外では畳の上だけで勝負をつけません(笑)勿論「弱いから負けた」と語った、篠原氏の柔道家としての精神は尊いと思いますが、歴史の鉄則「強い者が勝つのではなく、勝った者が強い」を忘れるべきではありません。

日本柔道協会の人選に異論を挟みはしませんが、今回の世界大会で一定以上の成果が出なかった場合、組織として形骸化しているのだな~と思わずには、要られません。いっそ、ボロ負けするのもいいのかも知れませんね。必ず、誰かが改革するきっかけになっていくでしょうから・・・

「これは、私の目指した柔道ではない」と晩年、講道館を訪れた加納氏が語ったといわれています。あれ程、頭が切れて、モノを見通す洞察に優れた方が語ったのですから、こうなっていくのを見通していたのかも知れません。何にせよ、原点は本当に大事なんです。その上で、それに留まらず、常に改革していく事も。もう一つ、歴史の鉄則を書けば「保守の保守は改革に繋がる」という側面もあります。これは、またの機会に☆

同時代の津軽三味線の創始者「仁太坊」氏は常に、弟子にこう語っていたといわれています。

猿真似なら誰にでも出来る。自分の三味線を弾け

これも、加納氏の考えと相通じるものがあると思えます。兎も角、こういった事を誤解無く「大和」として語った吉田松陰の気持ちと言葉を忘れずに、世界大会でも好成績を挙げて欲しいと、切に願います。日本で「」になっているモノは、本当に奥が深いのです。皆様も、何かのきっかでどれかに、触れて頂けたら幸いです。

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