かてなちお ― 「まもる」をテーマに生活情報から防犯情報まで紹介します。

Top > イタコから見えてくる日本・・・③


皆様、ご機嫌如何ですか?閂屋の北野邦彦です。前回は、混乱に突入する室町時代。社会の頂点に立つ者が、責務を負わず己(陣営)の欲得のみで行動し「箍(たが)」となるべき幕府の権威・支配力が低下、諸大名の抗争が収拾不能になるまで激化していく過程でした。



対比として、江戸時代、諸大名による領地争は皆無です。幕府の統制力、国民レベルで治安が維持され、社会が安定。「平和」を実現しました。



過程を推進させる""、要するに現状の変革である「」を望む強い欲求が、広く民衆レベルにまで存在した事が「応仁の乱」を起こした大きな原因です。いつの世もそうですが、政治的に条件が整ったとしても国民レベルで乱が”好まれない”限り起こりえません。



日本の政治・経済・社会のシステムがズタズタな上に、政治のリーダーシップの欠如、金融不安、教育崩壊といった「」で国民に認識されているにも関わらず、人々に”動き”はない。”昔話”ではなく”現代”の話です。まだ現代で「乱」は望まれていません。海外旅行にも行けるし、多くの方が食うに困ってもいないからです。あ~よかった、でしょうか?切羽詰らないと動けないのが人の性というものでしょうか(笑)



アンケート三傑、織田信長、坂本龍馬、聖徳太子。いずれも強力なリーダーシップを発揮し社会を混乱から安定に向かわせました。歴史は時折、その時の人々の欲求を具現化すべく英雄を生み出します。時代が人を創り、人が歴史を作るからでしょう。室町期から安定に向かう過去「歴史」は、どういった答えを出したのか?と前回終えました。その役割を果たしたのが織田信長であり、何故今日、彼のような人物が求められるか?にお答えしたいと思います。




応仁の乱から信長登場まで、ざっと70年程の時間があり、この間、日本はどうなっていたのか?室町期に、農業技法の改革、産業の発展等で、地方は大変豊かになりました。そのことが本物の競争原理である「領土経営」を必要とさせ、戦国の騒乱を進めた一因となりました。故に、日本史上唯一「護民」の発想が領主にありました。下手な”経営”をすれば「一揆」というデモを起こされ滅ぼされ兼ねな厳しい現実が、領主を護民に向かわせました。抗議とは実行力を伴って行はなければ”何も”が変わらないのですね~(笑)



日本開闢(始まって以来)以来の未曾有の社会であり、解決法は、これまでのやり方「過去に習う」は通用せず、新たな常識を構築する者が現れました。「戦国大名」です。「下克上(下が上に克つ”かつ”)」により領土を得た、新興勢力型大名であり「朝倉孝景/北条早雲」に代表されます。両名、家訓として「朝倉孝景/北条早雲17カ条」を書き残しました。簡単に言えば戦国を生き抜くHow to本といったところでしょうか。朝倉は「領地経営」北条は「家臣の心得」が主な内容となっています。



スルドイ方は気付かれたと思いますが、共に「17カ条」。聖徳太子の17カ条=和の精神に変る新たな””として作られ、共に17カ条なのは、偶然ではありません。新たな17カ条に、より忠実な者が時代の覇者になります。朝倉、北条は新たな基を構築しながら、子孫が基準に忠実でなかったため滅びたといえます。



朝倉を滅ぼした男、織田信長。彼だけが為しえた「天下布武」を公約に掲げ、世に打って出ました。「公約」を掲げると言う行為は日本史上初の試みです。「楽市楽座」に代表される新機軸の開拓、経済の活性化に務めます。経済力=戦力は古今変らぬ常識です



応仁からのあまりに意地汚い気質に、反動がみられるようになります。「男らしさ」の復活です。欲得のみで行動するのではなく、信念・約束を貫くといった感じでしょうか。颯爽として武士が登場します。これも、物事、行き着く所までいけば揺り返しが起こるという事でしょう。新たな基準、信念をもった織田陣営が大衆に受け入れられたのは何故でしょう?当時の社会情勢を調べてみると・・・



当時、権益をもつ支配層の力が強く「座・寺社勢力」が挙げられます。「」は企業合同=トラストと同じで、価格決定、販売権等、座に属していなければ商う事は出来ず、誰かが新たな販路など作ろうものなら文字通り”潰され”ました(怖)権益を守るためであり、大衆の生活など二の次。「組織」という怪物はいつの世も「人ハトモアレ、ワガ身サエ」です。



当時の販売所は「」と呼ばれ、寺社で開かれました。人々が集まり、広いスペースを提供出来るのが寺社だったからです。寺社は「濡れ手に粟」の商売で、座の売り上げから”上がり”を貰い、集う全ての人々から「関所」で”税”を集めるという悪辣ぶり。こうしたコスト(経費)が価格に上乗せされ、人々は異様に高い商品を買わされるという悪循環に陥っていました。



困るのなら一揆で潰せば?と思われるでしょうが、販路が無ければ売り買い出来ません。生活に困る上、寺社は宗教勢力。”買う”人々は”信者”。寺社のいいなりであり、大名も寺社の動向を伺わなければ、寺社によって仕向けられた一揆に手を焼くという有り様。要するに、当時の寺社は最強の「大名」です。”信者”という”聖戦”を戦える、死をも恐れない兵力を備えている上、最大の利権を保有している経済集団兼、特権階級です。



道路特定財源/ガソリン税」揺れる国会、被害を受ける国民。組織の理論が、国民生活より優先されているから起こっている現象です。そもそも「二重税(ダブルタックス)」は”禁止”ではなかったか?今では誰も論議しませんが・・私が子供の頃「後30年で石油がなくなる」と自民党が発言していたのを覚えています。ガソリン税を回さないと「地方が疲弊する」と脅しています。要するに「狼少年」です。年金問題など国家ぐるみの詐欺だと思っています。もし、民間保険会社が同じ事をしたらどうなるでしょうね?(笑)



信長は、寺社の武装解体が目標であり、信仰の破壊を目指していません。しかし、利権集団代表「石山本願」。莫大な富を持つ彼等は「行けば極楽、下がれば地獄」と信者に説き、織田軍に徹底抗戦。なぜか?権益を守るためです。信長が本願寺を嫌った理由は、無知蒙昧な信者を、誰も見たことのない死後の世界で”脅し”無益な戦いを仕向けたからです。この時代から500年程経過していますが、あまり、進歩したとは言い難いですね~私など無知蒙昧の極地、信長ドンに斬られそうです(笑)



信長に改革で出来て、自民党では絶対に改革が出来ない大きな理由は「連立政権」だからです。他者の力を借りて獲った第一党は”他者”の意見、圧力に左右される運命にあります。戦国大名の多くが寺社勢力と結びつき、甘い汁をすっていました。詰まる所、既得権保有者の言に左右される体質があると云う訳です。また、累代(るいだい)の家臣といって古くからお家に仕えている者共にも配慮が要ります。将に、内患外憂。では、左右されず真の改革を推し進めるにはどうするか?信長は明確な答えを出しました。



楽市楽座の真の目的は”自ら”開拓し拡げた「自由市場」と、交易による利益確保。既得権保有者の牙城を骨抜きにし、暮らし易い地域を提供する事で、人心を得、人気を獲得。物品税しか獲られない県と、交通税云々といった税を多重に獲られる県、どちらに暮らしたいですか?(笑)歴史上、平和を獲得した国家の税法は「広く少なく間接税」であり、信長もこの法則に従っています。



他にも、書き足したいところは山程ありますが(笑)何故、信長が現代求められるか?分かって頂けたかと思います。今、時代は確実に応仁の頃に近づいています。そう、遠くない未来、大混乱となるでしょう。渦中の人間にはたまったものではないかもしれません。しかし、希望もあります。行き着く所まで行けば揺り返しが起こり、既得権に頼らず、自活した力で立ち上がる者が現れるからです。戦国の世では過去の例はありませんでしたが、今は信長という例を持っています。過去を活かさなければ歴史の意義はありません。また、機会があれば織田信長には触れたいと思います。



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